弘前で猫談義

 朝、ほんのいっとき青空が見えた。

 桜の葉っぱは青々とするも、虫食いの穴だらけ。黄色くなった葉もあり、庭にはそれがたくさん落ちている。今年はクマゼミが異常繁殖したようだ。モズも仔猫のキットンも、庭でクマゼミを捕まえていた。黄色い葉が多いのもクマゼミの異常繁殖も、いわゆる温暖化が原因なのか。

 タロちゃんは朝ご飯を食べると、早速、朝寝してしまった。チビ子は外に出て、タロちゃんの指定席に座る。チビ子も大人になった。キットンとも余裕で遊び、レスリングをしてあげる。「偉いぞ、チビ子」と言いたくなる。キットンも、チビ子への甘え方が分かってきたようだ。キットンとの遊びの呼吸を、チビ子は随分と飲み込んだ。チビ子、人間ができたね、などと思っていると、先日の青森旅行中のことを思い出した。

 弘前で友人ふたりがお城見物にいくあいだ、私はたまたま見かけた昔風の喫茶店でふたりを待つことにした。呼吸が苦しく、歩くのが億劫だったのだ。

 喫茶店は「時代屋」という名で、その名の通り、店内に入ると、今時珍しく、煙草の煙が燻っている。古い掛け時計が壁に掛かっている。それもこれも、その名が表しているのだろう。開店後、たしかに幾時代か経ったにちがいない。そう思わせる雰囲気が狭い店内に溢れていた。店は狭く、小さなテーブル三つと、カウンターの前に高い丸椅子四つか五つあるきりで、それだけでスペースが一杯になるほどだった。お城見物を終えたら、あのふたりがここに来ることになっているので、私は四人がけのテーブルに腰掛け、ホットコーヒーを注文した。

 正面の壁には、弘前大学の広報部が出したであろうポスターが貼ってあった。リンゴ林にリンゴの実がいっぱいになり、その下でひとりの女子学生が立ち、こちらを向いて笑っている図だ。私はその写真が気に入った。「国立大学法人 弘前大学」と印刷されていて、何か受験生の気を引く文句も印刷されていたが、それは忘れた。

 左手のカウンターには、男女ふたりが腰掛けて、お姉さん(80歳くらい)は煙草を吹かし、リンゴジュースを飲んでいた。さらに左には、keep distance で、座席二つ置いて、私より少し若いくらいの男性が座っている。ビールを飲みながら、これもやはり煙草を吹かしていた。窓の外は晴れ、夕空が広がっていた。やがてカウンターのふたりの話していることがだんだん聞き取れるようになった。飼い猫が真っ白で美人だと、男性がしきりに自慢している。やがて彼はスマホを出してきて、女性に写真を見せた。飼い猫と聞いて黙っておれず、私も立ち上がり、「ちょっと失礼、私にも見せてください」と言って、彼のスマホを覗かせてもらった。すると男の方は自慢できる相手が増えて、嬉しいのか、眉毛を開いたようだった。嬉しそうな表情になったのだ。なるほど自慢するだけのことはある。猫は美形だ。そうこうしていると、女性もスマホをとりだし、最近飼い始めたという、仔猫を脱したばかりの猫の写真を見せた。これもなかなかいい顔をしている。これは弘前市内にあるラベンダー通りで彼女が「保護」したという。「保護」したのかされたのか判別するのは難しい。が、そんなことにかまわず、私も負けじと、小型カメラを撮りだし、カードに残っているうちの子たちの写真を見せた。

 やがてママさんも加わって、猫談義が始まった。まぁ、自慢すること自慢すること。だが猫や犬の自慢は罪も嫌みもない。人間の場合はオブジェクトの自慢をすることがそのまま己のステイタスやインテリジェンス、有名さの自慢になってしまうことがしばしばある。自分の仕事の自慢をして、権威者を引き合いに出されると、虎の威を借る狐のようで、馬鹿馬鹿しく滑稽であると同時に、なんだかお里が見えてしまうものだ。そうそう、とても高価な車に乗って、高価な金時計を腕にはめ、カフスボタンもネクタイピンもキンキラキンで中身空っぽの男が世の中にはいる。装飾品や車でなくとも、自分の作品について語るとき、ついつい、とはいえ、かならず、余計なことを長々と述べて、自分がそのジャンルの権威と知りあいで、権威にいかに褒められたかを言わずにはおかない人がいるものだ。どこかでキンキラの装飾品で自分を偉く見せたいのだ。

 それとはちがい、犬や猫といったペットの自慢は、私も加わっただけに言い辛いが、食べ物の話とおなじように罪がない。食べ物の話に罪がないというのは、たとえば『三四郎』の廣田先生が岡山駅で桃を買い、三四郎や同席の女性にも勧めてしきりに桃談義をしたときのように、語り手が己や権威や金ぴかなど意に介さず、ひたすら客観としての桃をクローズアップするからだ。大事なのはオブジェクトなのだ。そこへ俺は偉いぞ、俺の書いたものは誰それさんと一緒に出すのだと、権威者との関わりが強調されると、鼻持ちならぬものになる。無私ではなくなる。

 ところでそのとき、80歳くらいの姉さんの話では、猫に生魚はよくないということだった。それを聞いて、ギョッとした。なぜかというと、私は明石大久保のイオン1番館で、鰹のタタキの5割引を買ったり、別のスーパーで298円のを買ったりして、タロちゃんやチビ子、キットンによく食べさせているからだ。だが話の途中で、岩合さんの猫番組を思い出し、そのことを言った。スペインやポルトガル、メキシコなどの港で録画したものを見てると、生魚を食べさせている場面がしばしば出てくるのだ。これを言うと、カウンターのお二人も納得してくれ、さらに猫談義が弾んだ。が、やがて女性の方は、猫を遊んであげなきゃといって、帰って行った。彼女が店を出る前に私は「猫に遊んでもらってください」と聲をかけた。どうも、猫と人間の関係に関しては受動か能動か見極めるのは難しい。

 小一時間もすると友人たち二人も店に来て、例の弘前大学のポスターに感心し、店の雰囲気にも感心していた。