「私は正しい」は正しいか

 凶悪事件が世間を騒がせているときに、犯人に対する攻撃的なことを世間に発信する人の心理はどんなものか。彼あるいは彼女にとって、まずは自分が犯人ではないことを世間に表明することが重要なのかもしれない。つまり自分は犯人と同種の人間ではなく、善良で正義の側に属している人間なのだと、世間に対して顕わにしている。相模原障害者施設殺傷事件の犯人に、あるいは京都アニメーション事件の犯人に、どれほど酷いレッテル貼りを行っても、まったく有効ではない。すくなくとも本人に対しては何ら効果をもたず、反省を促すこともない。反省を呼び起こすこともない。

 自分は犯人とは別種の人間で、正義の側に属しているという思いもまちがっている。自分もいつ犯人と同じような行為をなし、同じような境位に立つかわからない。竹山道雄氏が、我々もヒトラーと同じ人間だとどこかに書いていた。ヒトラースターリン毛沢東とおなじように「私」も、悪辣なことをなしうる。あるいはその手先となりうる。