ウクライナ支援は米国を儲けさせるだけだという意見が見受けられる。米国を儲けさせるのかもしれない。しかしそれがすべてではない。

 今現にロシア軍による侵略で苦しんでいる人々がいて、苦しんでいる国家がある。ロシア軍による侵略が収まるまでは、ロシアへの経済制裁ウクライナへの軍事支援は続けられなければならない。それは人類の義務だ。

 またロシアに侵略停止を呼びかけ、ウクライナに支援の聲を発し続けることも、人類を構成するひとりひとりの義務だ。義務は本来の自由からくる。

 

 レーニンスターリンはじめ、ロシアで権力を握った人たちは側近やライバルを粛正し、我が身とわが立場を守り続けた。そのためには外征も厭わなかったし(ここで織田信長豊臣秀吉をも思い浮かべる人もあろうが、今は脇に置く)、ロシア人による略奪、レイプ、虐殺、ジェノサイドの数々は歴史上、枚挙にいとまない。それは1945年8月9日以降の満州でも樺太でも千島列島でも行われているし、ポーランドでも行われている。また私たちに走らされていないだけで、ポーランド以東においてもなされたと推測される。第一次世界大戦時だったか、満州でも赤軍と白軍とが戦闘し、いずれかの戦死者の死体を蒸気機関車の竈で焼いて処理したという。そのため蒸気機関車は特定の駅と駅の間を往復し続けたと読んだことがある。キーウでロシア軍が火葬車を使っていると知り、思いだした。

 カリニングラードはかつてプロシア領で、ケーニヒスベルクと呼ばれた。哲学者カントはそこで生まれ、そこから一歩も出ることなく、そこで没した。そのカリニングラードにロシアは核ミサイルを配備する動きを見せているという。フィンランドNATO接近に対する処置であるらしい。

 

 かくも危険な体質をもつロシアとの国境線に、知床、稚内は面している。私たち日本人も覚悟をしていなければならない。北朝鮮も中国も油断ならない。食料自給の問題、電力の問題も視野に据え、スイスのごとく独立自存を実現できる態勢づくりを真剣に考えねばならぬ。

 4月21日、ロシア国防相プーチンに戦果を報告する動画が流されました。プーチンマリウポリの製鉄所をロシア軍により包囲したままで製鉄所および地下室への攻撃を中止せよという命令をだした。

 これはロシア国民にだけではなく、全世界に向けてなされたものと思われる。4月26日現在、ロシア軍による製鉄所攻撃は続いている。ウクライナ人、アゾフ大隊構成員を騙すために仕組まれたのだ。ロシア軍は製鉄所の地下シェルターに侵入できないまま、ミサイル攻撃、砲撃を続けている。全世界、とりわけウクライナ、製鉄所地下シェルターにいる人々を欺き、一掃するためにだ。

 ウクライナへは、ロシアによる一方的な侵略であって、戦争ではない。民間人や集合住宅などの民間施設、鉄道の駅などを蹂躙していくのは戦争の概念を大きく逸脱している。東部ドンバス地域では、地下生活者が居住空間の壁や床にカビが生えたり、食料、飲料水が底をつき始めているという。東部二州ではおそらくいたるところで、そのような事態に陥っているものと思われる。

 私たちは遠くにいて、プーチンやその取り巻きへの憎しみ、ロシア兵への憎しみを大きくしていくばかりだ。それに呼応して、ウクライナの人々の健闘を祈る思いが増す。やはりウクライナに必要なのは武器だ。

 合衆国のブリンケン国務長官、オースティン国防長官がポーランドから列車でキーウに入り、ゼレンスキー大統領と会談したと報道がなされた。

 実際、ウクライナ人は西欧とロシアとの戦いの犠牲になって戦っている。西側諸国が武器を提供するのは当然だ。ブリンケン国務長官は「米国によるウクライナ支援はウクライナが勝利を収めるまで続く」と述べた。

 日本も、ロシア軍が一気呵成に北海道に上陸してくれば、憲法論議などしてはおれない。ただちに反撃しなければなるまい。同様に、もはや憲法の束縛で日本が西側諸国の一員にふさわしい振る舞いや武器供与を行わないとすれば、北海道、山陰、尖閣、沖縄、九州などで変事があった際、西側諸国の協力を仰ぐことはできないことになるだろう。

 日本はまず軍事力、食糧自給、石油、電力の確保の諸点で自立を模索しなくてはならない。同時に、単独で自国を守ることはできないので、西側諸国の一員として、米国、NATO、豪州、東南アジア諸国と集団的安全保障の枠内で、テロ国家に備えなければならない。

 

ぶんぶんの会、“The Romantic Imagination“by Sir Maurice Bowra読書会。第三論文のテーマはColeridge で、タイトルは“The Ancient Mariner“

 27日は、半ページあまりしか読めなかった。が、読むことは大事。

 

 ウクライナの人々よ、苦難に耐え、雄々しく戦ってください。NATOも日本も参戦できない悔しさに耐えています。フィンランドもスエーデンも、ロシアの恐ろしさを目の当たりにして、NATO集団的自衛権に参加しようとしております。

 

 ロシアの人々よ、広く世界平和について思いをめぐらしてください。自分は正しい、相手はまちがっているという思考をやめるべきです。むしろあなたたちの軍隊がウクライナでどんな惨状を生み、どんな酷いことをしているかを直視してください。自国の報道はつねに歪曲されていることを知ってください。

 

 日本人よ、自国の安全保障、エネルギーの確保、食料自給について、党派的偏りなしに真剣に考えましょう。

 

弘前で猫談義

 朝、ほんのいっとき青空が見えた。

 桜の葉っぱは青々とするも、虫食いの穴だらけ。黄色くなった葉もあり、庭にはそれがたくさん落ちている。今年はクマゼミが異常繁殖したようだ。モズも仔猫のキットンも、庭でクマゼミを捕まえていた。黄色い葉が多いのもクマゼミの異常繁殖も、いわゆる温暖化が原因なのか。

 タロちゃんは朝ご飯を食べると、早速、朝寝してしまった。チビ子は外に出て、タロちゃんの指定席に座る。チビ子も大人になった。キットンとも余裕で遊び、レスリングをしてあげる。「偉いぞ、チビ子」と言いたくなる。キットンも、チビ子への甘え方が分かってきたようだ。キットンとの遊びの呼吸を、チビ子は随分と飲み込んだ。チビ子、人間ができたね、などと思っていると、先日の青森旅行中のことを思い出した。

 弘前で友人ふたりがお城見物にいくあいだ、私はたまたま見かけた昔風の喫茶店でふたりを待つことにした。呼吸が苦しく、歩くのが億劫だったのだ。

 喫茶店は「時代屋」という名で、その名の通り、店内に入ると、今時珍しく、煙草の煙が燻っている。古い掛け時計が壁に掛かっている。それもこれも、その名が表しているのだろう。開店後、たしかに幾時代か経ったにちがいない。そう思わせる雰囲気が狭い店内に溢れていた。店は狭く、小さなテーブル三つと、カウンターの前に高い丸椅子四つか五つあるきりで、それだけでスペースが一杯になるほどだった。お城見物を終えたら、あのふたりがここに来ることになっているので、私は四人がけのテーブルに腰掛け、ホットコーヒーを注文した。

 正面の壁には、弘前大学の広報部が出したであろうポスターが貼ってあった。リンゴ林にリンゴの実がいっぱいになり、その下でひとりの女子学生が立ち、こちらを向いて笑っている図だ。私はその写真が気に入った。「国立大学法人 弘前大学」と印刷されていて、何か受験生の気を引く文句も印刷されていたが、それは忘れた。

 左手のカウンターには、男女ふたりが腰掛けて、お姉さん(80歳くらい)は煙草を吹かし、リンゴジュースを飲んでいた。さらに左には、keep distance で、座席二つ置いて、私より少し若いくらいの男性が座っている。ビールを飲みながら、これもやはり煙草を吹かしていた。窓の外は晴れ、夕空が広がっていた。やがてカウンターのふたりの話していることがだんだん聞き取れるようになった。飼い猫が真っ白で美人だと、男性がしきりに自慢している。やがて彼はスマホを出してきて、女性に写真を見せた。飼い猫と聞いて黙っておれず、私も立ち上がり、「ちょっと失礼、私にも見せてください」と言って、彼のスマホを覗かせてもらった。すると男の方は自慢できる相手が増えて、嬉しいのか、眉毛を開いたようだった。嬉しそうな表情になったのだ。なるほど自慢するだけのことはある。猫は美形だ。そうこうしていると、女性もスマホをとりだし、最近飼い始めたという、仔猫を脱したばかりの猫の写真を見せた。これもなかなかいい顔をしている。これは弘前市内にあるラベンダー通りで彼女が「保護」したという。「保護」したのかされたのか判別するのは難しい。が、そんなことにかまわず、私も負けじと、小型カメラを撮りだし、カードに残っているうちの子たちの写真を見せた。

 やがてママさんも加わって、猫談義が始まった。まぁ、自慢すること自慢すること。だが猫や犬の自慢は罪も嫌みもない。人間の場合はオブジェクトの自慢をすることがそのまま己のステイタスやインテリジェンス、有名さの自慢になってしまうことがしばしばある。自分の仕事の自慢をして、権威者を引き合いに出されると、虎の威を借る狐のようで、馬鹿馬鹿しく滑稽であると同時に、なんだかお里が見えてしまうものだ。そうそう、とても高価な車に乗って、高価な金時計を腕にはめ、カフスボタンもネクタイピンもキンキラキンで中身空っぽの男が世の中にはいる。装飾品や車でなくとも、自分の作品について語るとき、ついつい、とはいえ、かならず、余計なことを長々と述べて、自分がそのジャンルの権威と知りあいで、権威にいかに褒められたかを言わずにはおかない人がいるものだ。どこかでキンキラの装飾品で自分を偉く見せたいのだ。

 それとはちがい、犬や猫といったペットの自慢は、私も加わっただけに言い辛いが、食べ物の話とおなじように罪がない。食べ物の話に罪がないというのは、たとえば『三四郎』の廣田先生が岡山駅で桃を買い、三四郎や同席の女性にも勧めてしきりに桃談義をしたときのように、語り手が己や権威や金ぴかなど意に介さず、ひたすら客観としての桃をクローズアップするからだ。大事なのはオブジェクトなのだ。そこへ俺は偉いぞ、俺の書いたものは誰それさんと一緒に出すのだと、権威者との関わりが強調されると、鼻持ちならぬものになる。無私ではなくなる。

 ところでそのとき、80歳くらいの姉さんの話では、猫に生魚はよくないということだった。それを聞いて、ギョッとした。なぜかというと、私は明石大久保のイオン1番館で、鰹のタタキの5割引を買ったり、別のスーパーで298円のを買ったりして、タロちゃんやチビ子、キットンによく食べさせているからだ。だが話の途中で、岩合さんの猫番組を思い出し、そのことを言った。スペインやポルトガル、メキシコなどの港で録画したものを見てると、生魚を食べさせている場面がしばしば出てくるのだ。これを言うと、カウンターのお二人も納得してくれ、さらに猫談義が弾んだ。が、やがて女性の方は、猫を遊んであげなきゃといって、帰って行った。彼女が店を出る前に私は「猫に遊んでもらってください」と聲をかけた。どうも、猫と人間の関係に関しては受動か能動か見極めるのは難しい。

 小一時間もすると友人たち二人も店に来て、例の弘前大学のポスターに感心し、店の雰囲気にも感心していた。

 

ウグイスと声をあわせ

 

あれはいつだったか、ある日、偶然、志染の石室なるところへ行くことになりました。私の住んでいる大久保から国道一七五号線を北上していると、志(し)染(じみ)川、志(し)染(じみ)川に架かる橋のたもとで、東に向かう農道が盆地の平野にのびていました。ほう、こんなところにも農道が、と思い、初めてのことながら、もともと当てがあってドライブしていたわけでもないので、その農道に入ったのです。途中、「志染の石室」という矢印付きの標識を見かけました。それに随って小高い丘を車でのぼり、駐車場に車を止めました。ほかに停まっている車とてなく、アスファルトの地表に激しい陽光が照り付け、蝉の声が凄まじく青空を満たしておりました。下を見おろすと、山間の平野はさっきよりはかなり狭く、盆地というよりはむしろ谷間と言った方がよいかもしれません。向こうの丘が手前に近づくなか、川はほぼ中央に流れておりました。

五世紀、ふたりの皇子がここですごし、後にふたりとも天皇になったという伝説が残っているそうです。そんなことが、駐車場の外れに立っている由緒書きに書いてありました。文字通りに読めば不思議な気もします。ふたりとも、と言っても、ふたりの人物が同時に天皇になるということはありますまいから、相前後してということでしょう。あるいは、ひとりは天皇になったのに、もうひとりはならなかったのかもしれません。それは神代の昔のことですから、正確を期することはできないでしょう。そんなことを思い、ふたりの皇子はどんな経路をとって、ヤマトからここまできたのだろうといぶかしく思いました。山道をあがっていきました。

 

 森を歩き歌をうたうと鶯が一緒に歌ってくれました。

   弱った体ではほんのちょっとした傾斜も息切れがしますが、ゆっくりとあがり、またさがりました。左手には小さなダム湖が見え、水は透明でした。やがてほぼ水面の高さまで下がると、いちばん低い平面を守る壁のような岩の下に石窟があり、水が溜まっていました。近づくとバチャンと音がしました。亀だろうかと訝りながら近づき、暫く蜘蛛の巣が額や腕に絡みつくのを感じながら、暫くそこにいました。

  その水が金の水と呼ばれるのは、光の藻というのが繁殖して、春先には水がほんとうに金色になるからだそうです。

来た道をとって返すとき、あまりにも靜かなので、歌をうたいました。”Oh come, oh come Emmanuel” という歌の最後のフレーズ、Rejoyce, rejoice, Emmanuel を繰りかえしました。すると鶯の声がしはじめました。 歌いだすと鶯も歌いはじめました。それまで静かだった高い木の葉叢から、澄んだ声が青空に流れました。初めのうちは一緒に、次いで私が休むと、「歌いなさい」というように、促すように鶯の声が流れました。励まされているようでした。なんとも幸せな一時でした。

 

 

播磨国風土記美嚢郡志深里(しじみのさと)条によると5世紀頃、皇位継承争いで雄略天皇派に殺された市辺押磐皇子の二人の王子、後の23代顕宗天皇である袁奚と後の24代仁賢天皇である意奚の兄弟は志深(志染)の石室に隠れ住んだとされる。(日本書紀では「縮見山石室」と表記)。その石室の故地であると伝承されている。

ひかり藻が生息する石室の湧水は「窟屋の金水」と呼ばれる。

 

 

 昨夕、オリンピック開会式があり、聖火リレーの最終ランナーが大坂なおみか?というネット記事につられて、私も最後まで見た。私は大坂なおみのファンなのだ。

 これを見て思ったことを述べる。オリムピック開会、まことにめでたきことと考える。人事にいろいろ不手際があり、それが直前に発覚したにせよ、それにめげず開会できたことはめでたい。また直前とはいえ、それが顕わになり、そのことを受け止めたうえでオリンピック開催に踏み切った決断に敬意を表する。これは昨夜、テレビ放送を見たうえでの感想だ。

 

 開会式の演出も全体的な構想も個々のパフォーマンスも、私は気に入らない。それでも開会にこぎ着けることができて、よかった。

 まず新型コロナウィルスによるパンデミックスの危険を乗り越えようとする意志の表明として、この開会を高く評価したい。私たちはgive up していない、give up してはいけない、Let us survive this pandemics of covid-19 という思いの表出および発信として、重要と考える。この状況に負けてはならない、負けないで闘い続けよう、世界中の皆さん、Let us continue fighting against covid-19という訴えであり、その思いの表明だ。

 もうひとつ重要なことは、もしこれを開催直前に中止していたらどうなっていただろうかと考えてみることである。日本は現に一度、オリンピックを誘致しておきながら、開催権を放棄するという愚を犯しているのである。一九四〇年、東京にて開催予定のオリンピック中止表明を、時の政府は一九三八年に行っている。政府は開催権をIOC に返上した。これを忘れてはならない。当時、日本は日中戦争遂行中で、オリンピックどころではない、というもっともらしい思考様式が優先されて、平和への努力を早々と放棄してしまった。その3年後、一九四一年、一二月にはパールハーバー攻撃である。

 今、米中のせめぎ合いの中で、現にその渦中にある日本が、平和放棄の意思表明を世界に向けてなすならば、戦争回避の一縷の望みも打ち消されてしまうことになろう。その愚を繰り返してはならぬ。目下の敵は新型コロナウィルスである。米の趨勢を見ても中国共産党の動きを見ても、一見、軍事衝突不可避かと思わせる出来事が次々に出来している。南シナ海台湾海峡東シナ海、いたるところにマグマの胎動が聞こえる。これに対して誰が鈍感でいられよう。

 東京でのオリンピック開催は、その回避の呼びかけたりうるはずだ。「いや、地球上の皆さん、戦争は避けよう、とりわけ米中の戦いは避けよう、できれば、シリアもアフガンも平和のために努力してください」、というメッセージたりうるはずだ。

 

 二〇一三年、オリンピック東京誘致が決まったとき、私は何も嬉しくはなかったが、多くの人々は喜んだはずだ。そして昨夜、その開会式成功にこぎ着けたのだ。喜ぼうではないか。そして世界平和への努力に邁進しようではないか。まずは祈ろう。

 

  未明の雨に空気は洗われ、播州平野はどこを走っても心弾む。薄曇りの空が広がり、所々、ぽっかりと青空が覗き、青空を縁取る雲、灰色の薄雲にとりわけくっきりと白く浮きあがる雲、播州の、おそらくは北の果てだろう峰の連なりの青、その濃淡を見るも楽しく、水田や土手の緑が次々と現れ、嬉しくなるのだ。大窪から岩岡にあがると、稲美町につながる平野にでる。ここからは大窪よりちょっと高い高原が広がる。緑の田園地帯の中をアスファルト道路が走り、左右には田んぼが広がる。その広がりのなかに、お屋敷と言ってもいいような、立派な農家が点在する。

 ある箇所でハザード・ランプを点滅させ、停車する。八方が開けているが、北方の山嶺が青く伸びているのが鮮やかで、かつ心静まるように思えたので、車を止めた。山の青、雲に縁取られて覗く空の青、どれも心にかなって、私は胸が弾むのだ。昔の新潮文庫の『青い山脈』の表紙絵がふと思い出される。その青い山脈を、去年の秋田旅行では堪能したが、今日は遙か遠くとはいえ、はるか遠くのゆえにかえって憧れをかき立てられ、岩岡から播州の北の果てに横たわる青い山脈のさまを眺め、喜ぶことができた。右手、つまり東には神出山、背後、つまり南は大窪越しに淡路島、わずかに海がみえる。