昨夕、オリンピック開会式があり、聖火リレーの最終ランナーが大坂なおみか?というネット記事につられて、私も最後まで見た。私は大坂なおみのファンなのだ。

 これを見て思ったことを述べる。オリムピック開会、まことにめでたきことと考える。人事にいろいろ不手際があり、それが直前に発覚したにせよ、それにめげず開会できたことはめでたい。また直前とはいえ、それが顕わになり、そのことを受け止めたうえでオリンピック開催に踏み切った決断に敬意を表する。これは昨夜、テレビ放送を見たうえでの感想だ。

 

 開会式の演出も全体的な構想も個々のパフォーマンスも、私は気に入らない。それでも開会にこぎ着けることができて、よかった。

 まず新型コロナウィルスによるパンデミックスの危険を乗り越えようとする意志の表明として、この開会を高く評価したい。私たちはgive up していない、give up してはいけない、Let us survive this pandemics of covid-19 という思いの表出および発信として、重要と考える。この状況に負けてはならない、負けないで闘い続けよう、世界中の皆さん、Let us continue fighting against covid-19という訴えであり、その思いの表明だ。

 もうひとつ重要なことは、もしこれを開催直前に中止していたらどうなっていただろうかと考えてみることである。日本は現に一度、オリンピックを誘致しておきながら、開催権を放棄するという愚を犯しているのである。一九四〇年、東京にて開催予定のオリンピック中止表明を、時の政府は一九三八年に行っている。政府は開催権をIOC に返上した。これを忘れてはならない。当時、日本は日中戦争遂行中で、オリンピックどころではない、というもっともらしい思考様式が優先されて、平和への努力を早々と放棄してしまった。その3年後、一九四一年、一二月にはパールハーバー攻撃である。

 今、米中のせめぎ合いの中で、現にその渦中にある日本が、平和放棄の意思表明を世界に向けてなすならば、戦争回避の一縷の望みも打ち消されてしまうことになろう。その愚を繰り返してはならぬ。目下の敵は新型コロナウィルスである。米の趨勢を見ても中国共産党の動きを見ても、一見、軍事衝突不可避かと思わせる出来事が次々に出来している。南シナ海台湾海峡東シナ海、いたるところにマグマの胎動が聞こえる。これに対して誰が鈍感でいられよう。

 東京でのオリンピック開催は、その回避の呼びかけたりうるはずだ。「いや、地球上の皆さん、戦争は避けよう、とりわけ米中の戦いは避けよう、できれば、シリアもアフガンも平和のために努力してください」、というメッセージたりうるはずだ。

 

 二〇一三年、オリンピック東京誘致が決まったとき、私は何も嬉しくはなかったが、多くの人々は喜んだはずだ。そして昨夜、その開会式成功にこぎ着けたのだ。喜ぼうではないか。そして世界平和への努力に邁進しようではないか。まずは祈ろう。